戦後80年の今、特攻隊という歴史的事実とどう向き合うかは、次世代への「命と平和」の継承において重要なテーマです。
鹿児島・知覧に築かれた特攻の最前線基地と、富山市で未来を担う子供たちに伝えられる「特攻の真実」は、重くも心に響く絆を生みます。
当記事では、富山市の平和教育、知覧の記憶、そして特攻隊員や支えた人々の思いを通じて、私たちが今できる問いかけを探ります。
富山で語り継がれる「特攻」の記憶と平和授業
富山市八尾町に拠点を置き、SDGsや次世代教育に取り組む深井宣光さんが講師を務めた、小学校での「平和と命の授業」が2025年の夏休み前に開かれました。
授業では、B29爆撃機が富山にもやってきたという事実をビジュアルと音声で再現し、子供たちに「キャー」「いやー、助けてー」と命の叫びを想像させました。
講師の深井さんは「戦争はすごくダメなこと」と力強く訴え、教科書には載っていない“特攻隊”を題材に、戦争の非人間性と平和の尊さを語りました。

特攻の最前線・知覧の地に残る記憶
鹿児島県南九州市の知覧には、美しい円錐形の開聞岳がそびえ、太平洋戦争末期には陸軍最大の特攻基地「知覧飛行場」がありました。
ここから飛び立った439人の若者たちは、2度と戻らぬ覚悟で沖縄の海に消えていきました。
知覧特攻平和会館では、隊員の遺影や遺品が展示され、特攻の真実を後世に伝え続けています。
知覧の地は、戦争の悲劇を語り継ぐ重要な記憶の場所です。
富山出身・枝幹二さんの遺言と命の詩
知覧から出撃した1036人の陸軍特攻隊員のうち、富山県出身者は13人。
その中の1人、富山市出身の枝幹二さんは、早稲田大学で文学を学んでいた青年でした。
22歳で特攻出撃を前に残した辞世の句は、今も富山県護国神社に大切に保管されています。
「春風に咲いた櫻の咲くまもあらず唯君のため散るをよろこぶ」
引用:富山テレビ
この一首に込められた命の重みと覚悟は、戦争が個々の人生をいかに奪ったかを物語っています。
ホタル館と富屋食堂・命を支えたトメさんの想い
知覧には、「ホタルになって帰ってくるから」と言い残して出撃した特攻隊員の逸話から名付けられた「ホタル館 富屋食堂」があります。
ここで隊員たちを支えたのが、軍指定の食堂を営んでいた鳥濱トメさん。
卵が貴重だった時代、着物を売って仕入れた卵で作った玉子丼には、「せめて最後に腹いっぱい食べてほしい」という深い母性愛が込められていました。
現在は、ひ孫の鳥濱拳大さんがその想いを受け継ぎ、特攻の真実を語り続けています。
ネット上での反応と声
ネット上では、
・「知覧まで足を運びたくなった」
・「富山の授業をもっと知りたい」
・「命の重みを改めて感じた」
などの声が広がっています。
特に若い世代からは、
・「教科書だけでは見えない特攻隊員の心情を知る貴重な機会」
・「リアルな声を届けたい」
・「次世代へ語り継ぐ価値がある」
との感想が増えています。

まとめ
戦後80年となる今、知覧と富山をつなぐ物語は、特攻隊員たちが問いかけている「命と平和」の意味を私たちに思い起こさせます。
深井宣光さんのような講師を通じて、子供たちに教科書以上のリアリティをもたらす授業は、次世代の「生きる力」につながります。
特攻隊員や支えた人々の思いを受け止め、教えを未来へとつなげることこそ、私たちが今できる平和への一歩なのではないでしょうか。
当記事は以上となります。
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